お知らせ

立春を迎え、何日か寒の戻りがあったものの、異常な暖冬である。例年だと関東地方では湿った寒気が上越国境の山に大量の雪を降らせ、乾燥した寒気が赤城おろしとなって吹き抜ける。ところが今年は、雪が降らず、雨の多い冬だった。しかし、季節の巡りは、確実に春に向かい、2月20日頃には決まって福寿草の花がひらくが、こちらの方は時季を間違えていない。梅の花もすでに満開である。
2月になりコロナウイルスによる感染症が蔓延し、連日新情報が流されて、不安な日々を送ることとなった。遂に小・中・高校の臨時休校まで政府が要請する事態にまで至り、様々な行事や催事が中止されることとなっている。ここ1・2週間が、大流行を食い止める山場という。しかし、一向に終息に向かう情報はなく、患者は増えるばかりで、不安は増すばかりである。
令和になって、初めての天皇誕生日の一般参賀も中止となった。新型のウイルスの猛威は、留まるところを知らない。一日も早い特効薬の開発が待たれるところだ。しかし、こうした知見の無い、古代の人々は流行病に対して、大きな不安を持ち、ひたすら神々に祈りを捧げるより、なすすべがなかった。
現代社会でも、社会に蔓延する不安感を払拭するのは、祈りによるところが多い。全国神社の社頭での日々の祈りを通じて、一刻も早いコロナウイルスによる流行病が終息することを望むものである。

新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
年頭に当たり、先づ皇室の弥栄をお祈り申し上げます。あわせて氏子崇敬者皆様のご多幸を祈念申し上げます。
昨年は天皇陛下の皇位継承儀礼が滞りなく行われ、神祭りの大切さが自覚させられる年でありました。天皇陛下には御代初めに大嘗祭を行われ、皇祖天照大御神と天神地祇に自ら神膳をお供えされ、国家の平安と国民の幸福を祈られました。有難く尊いことでありました。
昨年の秋には関東や中部地方に相次いで台風が襲来し、各地で堤防が決壊して、大きな被害が発生しました。年々災害の発生が頻繁になり、不安が絶えないことになりました。何とか災害が少なくなることを祈りたいと思います。
年越の夜は、北風が厳しく寒い日となりました。年末が比較的温暖だったので一層寒さが身に沁みました。きれいに掃き清めた境内は、強い北風でどこから来るのか落葉でいっぱいです。枯れ枝にわずかに残っていた木の葉が吹き飛ばされたのだと思いますが、それにしても大変な量です。強風のため古札の御焚き上げも中止です。
この時期、農家の庭先に植えられた橙などの柑橘類は、ことのほか美しいです。落葉した木々の間に緑の葉が茂り、黄金色したみかんの実は、富の象徴です。橙を正月飾りに使う意味がよくわかります。水仙も香り豊かに咲き誇っています。
明けて元旦は、寒さは厳しいものの穏やかな日となりました。今年がこのような穏やかな年となるように祈りたいと思います。
今年はオリンピックが東京を中心に開催されます。東京は大改造の真最中で、様々なところで工事が急ピッチで進められています。高層ビルが何棟も立ち並び、町の姿が明らかに変わってきました。近代的な美しい空間に日々変化しています。
昭和39年の東京オリンピックは戦後復興の象徴のような意義付けだったと思いますが、今回は東日本大震災からの復興がテーマと伺います。50年を超える歳月の変化は、目を見張るものがあります。しかし、日本を取り巻く環境・世界情勢は厳しくなるばかりです。これからも着実に発展が重ねられるよう祈りたいと思います。

15日に境内の大掃除を行った。総代、祭事係、獅子舞保存会など総勢20数名である。この時期、木の葉はすっかり落ち、掃き寄せた処は落葉で山をなす状態になる。毎日掃かないでいると落葉の絨毯となってしまう。その落葉を森の中の広場に運び、社頭を掃き清めるのである。ところが本年は、イチョウが黄葉したそのままの姿で、まだ盛んにハラハラと葉を落としている。椋の木もまだ少し葉が落ちないままで、年末までには相当な分量の落葉になりそうだ。11月に入ってからも、夏のような大雨が何回も続いた影響であろうか。こんなところにも異常な気候を感じてしまう。
落葉の処理が一段落したところで、本殿、拝殿、末社の拭き掃除を行った。1年間の汚れを拭き清めて、新しい歳を迎える準備である。清々しい境内となり、午前中ですべての作業を終えることができた。その後、社務所でおむすびと豚汁で、ささやかな忘年会をして解散した。
本年は5月1日に、浩宮徳仁親王が126代天皇に即位され、元号が令和と改元された。10月22日には、即位礼正殿の儀が行われ、天皇は黄櫨染御袍を召されて、高御座の登り即位の事を内外に宣明されました。世界の191の国や機関の代表が参列される中、天皇の御言葉を受けて、内閣総理大臣が寿詞を申しあげ、万歳を三唱した。
11月14日の夕刻から15日の朝にかけて、大嘗祭が行われました。皇居東御苑に素朴な黒木の大嘗宮を建設し、この仮設の神殿に天照大御神及び天神地祇をお迎えして、今年の新穀で、神々をもてなすのである。一世に一度の大神事と呼ばれるもので、天皇はここで「国安かれ、民安かれ」と祈られる。この祈りから、令和の大御代は始まる。令和の御代が、日本の国にとって素晴らしいものとなるように、私たちもそれぞれの立場で頑張りたいものである。

秋もだいぶ深まってきました。神社の境内は、毎日落葉で埋もれてしまいます。みかんが熟して、きれいな色に染まってきました。農家の庭先には、ゆずや橙の黄金色の実が、濃い緑の葉の中に、輝いてみえます。田んぼはすっかり刈り取られて、切株ばかりの広々とした光景が広がっています。
先日14日から15日にかけて、天皇陛下の即位大嘗祭が、つつがなく行われました。まことにおめでとうございます。悠紀地方に栃木県、主基地方に京都府が選ばれ、それぞれ斎田が決められて、そこで収穫された新穀で、御飯や御酒を醸して、海山の幸と共に、天照大御神と天神地祇にお供えして、大嘗祭が行われたのです。天皇陛下は、御祭服を召し、直接にお供えをして、国家と国民の平安を祈り、五穀豊穣に感謝されました。天皇陛下の祈りの中に、新しい令和の御代がはじまりました。近年、自然災害が頻発しています。どうか平穏な日常が送れますよう、祈りたいと思います。
一世一代の大嘗祭は、天皇の即位ごとに行われてきました。毎年行われて来た新嘗祭を1300年前に即位儀礼として、整備されたものです。皇居東御苑に建設された大嘗宮にて、天皇が自ら祭りを行われ、国安かれ民安かれと祈られたのです。こうした形が、千年以上も続いていることに、不思議な気がいたします。徹底して神祭りに専念される天皇の御姿がここにはあります。初代神武天皇より126代の今上陛下まで、万世一系変わることなく。天皇を中心に発展してきた日本の姿が浮かんできます。こうした国柄が変わることなく続いたのは、私心なく祈られる天皇をおいて考えられません。その源流は有史以前の神話時代にまで遡ります。尊い事限りなしであります。